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最後の試合に勝てなかったけれども、負けたわけではない。1988年10月19日、川崎球場のダブルヘッダーで経験した悔しい思いを私はもちろん、近鉄の選手全員が忘れてはいなかった。 翌1989年のシーズン。6月下旬には首位オリックスに8.5ゲーム差をつけられても、我々は諦めなかった。西武、オリックス、…